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2005.02.22

時間の実感

 最近よく思うこと。現代人は時間貧乏?毎年毎年一年が短く感じる私です。年齢と時間は反比例だとは言うけど、昔の人もそうだったのか。
 
 昔の人の方が時間に優雅に暮らしていたように思う。焦ることもいらつくこともなく、太陽と共に生活し、季節と共に生きていたのだろう。

 朝起きて、竈に火をおこし、湯を沸かしご飯を炊く。食器は汚れていない物から荒い、最低限の水で終わる。たらいで洗濯をして手で絞り干した。今より子供の数は多かったから大変だったろう。

 座敷にお茶の出がらしを絞るか、新聞紙を湿らせてまき、箒で丁寧に掃き清め、ぞうきんでこまめに拭く。
 薪を割りお風呂を沸かす。火を付け薪や石炭をくべる。いい湯加減の時に入ってもらうには大変。

 お米を干したり、梅干しを作ったり、着物の虫干しをしたり、洗い張りをしたり。畳を上げての大掃除。七輪で火をおこしてこたつに入れたり、魚を焼いたり。靴下が破れれば電球を入れて繕う。

 今は、起きれば炊飯器がご飯を炊いてくれ、洗濯物もタイマーで洗えてる。干さなくても乾燥機までかければできあがり。乾燥した後たためてればもっといいのに。などと思う。

 食べた食器は食洗器がやってくれ、掃除機にいたっては勝手にはい回る。洋式の家はぞうきんがけなど不要であり、食材もすべて外から買ってくる。
 スイッチひとつ押せば、暖房も冷房もお風呂も沸く。勝手に電気がつく家があったり。365日空調で温度管理も出来る。

 買い物も、八百屋に魚屋に肉屋。金物屋に乾物屋。と買い廻るにはどのくらいの時間が必要だったのか。今はスーパーですべて揃うし、帰ってからそのままご飯になる。でも、コミュニケーションは無くなった。

 旅に出るのだって、日帰りではそう遠くへは行けない。大阪に行くのだって何十時間も電車に乗る。のんびりと過ごしながら風景を楽しみながら、旅を楽しんだのだろうか。
 昭和の40年初めに九州から上京するのに20時間もかかり、それも寝台なんてに乗れなくて、急行の座席に寝てきた。お袋も一緒だったのだが今、同じ歳になってみて、かわいそうな事をしたなぁ。でも、当時はあれが当たり前だったなぁ。と会社の先輩は言っていた。今では時間を使う旅は贅沢な物になった。

 仕事だって、手計算手書き。一日に出来る量はたかがしれていた。今は大多数が機械がやる。だから人間の手が空いたというかというとそうじゃない。どんどんと仕事は増えるだけ。

 人間が出来るだけの量以上に物がこなせるわけになったのだが、人間の生活に余裕が出来た訳じゃないのだ。なぜだろう。こんなに機械がやってくれたいるのに。

 私も家事の時間は少ないかもしれないが、余った時間をボーっと過ごすわけではなく、何かをしている。仕事はとにかくとして、作家でも無いのにこうやってくだらない文章を書いて時間が過ぎていく。本を読む時間も無くなった。

 もし、私がパソコンに手を染めなければどうなっていたのだろうか。時間はあったかもしれないが、世界は狭かったに違いない。知り合えなかった友もいるだろう。

 文化の違いは生きる世界の違いなのだろうか。文明が無かった時の行動範囲と、今の行動範囲とでは大きさが違うから、時間の過ぎ方も違うのだろうか。

 研ぎ屋という仕事を始めたせいか、日々の糧。と言う言葉が重い。江戸時代は宵越しの銭は持たない。と、その日のあがりはその日に使った。と言うが、持たない。じゃなくて持てない。一日の稼ぎで一日を暮らす。って事かな。と思う。

 手作業で一日働くには、限度がある。特に冬はお日様も早くに店じまいをするから実働時間が短い。1本にかかる時間と金額を考えると、そうは実入りはない。
 今日の夕飯と明日の昼までの分として働いていたのでは無いだろうか。少しあがりが多ければ晩酌代。そんな生活だったのでしょう。稼ぎまくるのではなく、自分が生きていく上の最低必要な時間、物、場所でお天道様の感謝しながら過ごしていった。一日で歩き回れるだけの世界で充分。

 そんな世界だから、時間に余裕があったのでしょう。人生自体だって、今は人生80年。人生50年と比べれば30年も違う。
 それはそれで幸せたっだのだろう。今は何でもかんでも欲張り過ぎなのだろうか。余計なことに時間を費やしているように思う。 
  情報の渦にも巻き込まれて、なにが本当か嘘なのか。自分のやることはなんなのか。テレビやパソコンを使わないで過ごしてみあたらわかるだろうか。

 会社を辞めて2年半。会社に拘束されていた時間は無くなったのに、時間が余るわけでもない。そして、身体はまだ立ち直っていない。辞めたのは健康を取り戻すためでも合ったはず。もっとゆっくり生きたいと思っていたはず。なのに忘れるんだなぁ。せっかちなんだね。田舎に暮らすためにももっとゆっくり生きなければ、昔の時間で。

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