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2004.10.29

親の責任

 子どもを育てるのは大変。でも子どもはペットではないし、親の所有物ではない。子どもを育てるというのは、単に大きくするのではなく、その子がひとりでちゃんとに生きていけるように日々訓練する物ではないのだろうか。

 生きる基本。食べ方に始まって、人との関わり合い方、挨拶の仕方。働くこと、人とのコミュニケーションの取り方。危険回避の仕方、助け合い、お互い様の精神。物を大切にする。いのちを大切にする。善悪の判断、基準。生きるためのすべての基本は学校で教えることではなく、親の仕事、親の責任だと思う。

 ただかわいがるだけではだめ。かわいがるのは誰にでもできる。友達親子だっていいが、教えることは教える。躾はしなければ。ただかわいがれば犬も飼い主に歯向かうのだ。
 自分だけが良ければいい、自分だけ楽ならいい、自分だけが楽しければいい。そんな人間ばかりがどうしてこんなに増えたのでしょう。
 親の意識が変わらないとだめだ。叱ることは罪悪だはないのだ。子どもに教えるのだ。

 何も手伝わないのならお小遣いをやらなくてもいいんじゃないか。何かの対価としてお金がもらえることを教えなければ。何もしなくてもねだればもらえる。これはまずい。親がやらなくなったら、他から調達するだけになる。

 挨拶ができない、人との関わりが苦手。と言う子どもが増えているという。そして、それを教える塾が有るという。職場でひとことも話ができなくて辞めたという。何のために、難しい受験戦争や就職戦争に打ち勝ったのだろうか。いい学校、いい会社って何だろう。頭だけじゃだめ。

 運動の仕方も教えるらしい。先日の新聞にも子ども達の体力が低下しているという。私たちが子どもの頃は、野原や学校の校庭を走り回った。ゼイゼイしながら追いかけっこ、缶蹴り、馬跳び。身体を使う遊びがどれほど有ったか。知らず知らずのうちに体力をつけていた。遊ぶのが仕事だった。

 小学生が疲れるからやらない。なんて信じられない。疲れるなんて言葉はやる前には知らなかった。バカみたいに走り回ってから知るのがあの時代だった。気持ちいい疲れだった。

 核家族も3世代目の親が子どもを育て始めている。親自体も知らないことが多いし、本能も失われつつある。動物園の動物が子育てができない。とだいぶ前から聞いているが、人間も同じようになってきた。育て方、生き方の世襲ができてないのだ。

 乳児に何も話しかけずに授乳したり、無言で子どもの世話をする親。生まれたばかりの赤ちゃんを抱くのが初めてだという親。
 私が子どもの頃は、叔父叔母の子どもや近所の人の子どもを触らせてもらったり、抱っこしたり、遊んだりしていたものだった。

 勉強ばかりができたって、人間性がなかったり情がなかったらどうなんだろう。親はいつまでも子どもの面倒を見られるわけじゃない。

 仕事とは、子どもは遊ぶ、学校に行っている間は勉強をすること。それをしないなら、本当に働かせる事が親じゃないだろうか。何もしない子に多額のお小遣いを与え、子どものいいなりになっている親は、子どもに生き方を教えていない。子どもは生き方を知らないのだから、かわいがりながらしっかり教えていかないと。大人でも変な人が増えている世の中になって、ますます大変。でも、子どもに根負けしてはだめなんだ。小さい頃の家での教育が大事。三つ子の魂百まで。それが親の最低限の責任だと思う。

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