今を嘆いても仕方ないが
今日は友人の店前で研ぎ仕事。天気予報では午後から晴れると言うので信じて準備をした。なのに1時になっても、2時になっても止まず、逆に雷は大きくなるし雨の粒も大きくなってくる。空を見上げながら、いつ止むのよ。森田さん、午後には止むって言ったじゃない。と嘆いてみても仕方ない。
少しだけ屋根の有るところに引っ込んで、とりあえず事前に預かった物だけをやるのだが、この大粒の雨には参った。帽子をかぶってがんばってみる。
3時になってやっと止んできた。こんな天気では開店休業早じまいと思っていたのに、晴れたらお客さんが立て続けにやって来たのです。ありがたいことです。
店の前は細い道なのにバスも通るのです。その角に近いところにちょいと駐車する人がいるんですね。バスは立ち往生。もうすぐ駅だというのに乗っているお客さんもいらだっている様子。
バスは近所迷惑にならないようにクラクションを鳴らすのですが、出てくるのは近所の店の人たちだけ。車の後部座席には子どもが二人。たぶん運転手もすぐに帰ってくるつもりなんでしょうが、こういうときに時間は長く感じる。
少したって、30代半ばに見える女性がやって来て、何事も無かったようにドアを開け車を前に進め止めたのでした。なにかするのかと見ていたら、バスが過ぎ去るのを待っていた。
なんか変、これだけの人たちに迷惑をかけているはずなのに、何事もなくどうして行動が出来るのでしょうか。
せめて、バスの運転手に向かっては、会釈ぐらいしてもいいんじゃ無いだろうか。それとも目を合わせると何かを言われそうで嫌なんだろうか。
人がどんなに迷惑をしても自分が良ければいいんだろうか。子どもはどう思うのだろうか。挙げ句に一方通行の道をバックで走り去っていった。
今を嘆いても何も始まらない。と言われて、確かにそうだとは思う。しかし、この現実の先には何が有るんだろうか。
昨日もいのちと食べ物: 6月29日の夕食に書いたのだが、この狭い道は幼稚園の送り迎えの道。なのに誰一人手をつないでいるお母さんがいないのです。
確かに車の往来は少ないかもしれない。でも、通るのです。見てるだけじゃ何かあったときのは遅いのです。注意一秒怪我一生って言うじゃないですか。
もし、目の前で子どもが交通事故に遭ったらどうなるんでしょうか。手をつないでいたら。と後悔するのでしょうか。それとも加害者を責め立てるだけなのでしょうか。
自分さえ良ければそれでよし。他人側に立って物事を考えられなくなっている。覚他の精神(字も変換しないわ)はもう無くなってしまったのでしょうか。
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