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2005.02.16

世の中は泥縄だなぁ

 また、嫌な事件が起きた。びっくりとか、考えられないとか。言ってるけど、どんどんこんな事件が増えるのだろう。そして、何かが起きるたびに、規制しなければ、法律を変えなければ。と後手後手の泥縄状態。事が起きてから法律を作ってどうなるのだ。規制や法律を変えたり作ったりして、何か変わるんだろうか。
 精神鑑定をするような事件ばかりが起こるし、刑事罰の年齢を下げれば少年院があふれるだけ。事件が起きないように、いや、起こさないようのは出来ない物だろうか。
 学校は安全対策をしていたんだろうか。やることはやったのだろうか。って、悲しい。何で外から入って来る人が危険な物になってしまったのでしょうか。
 
 確かに、法律さえあれば。と言う事件も有るが、あくまでもそれは事件が起きてから思うこと。捕らえられれば、それも生きるだろう。しかし、捕まえられなければそれまでで、被害者はいる。
 河川敷ゴルフのように、わかっていてやる。逮捕されるのなら止めると。ここでゴルフをしてどうなるのか。わかっていながらやっている。何かが違ってきている。

 叱られなければいい。って育て方になってどのくらいになったのだろう。何かすると「あのおじさんに叱られるから止めなさい」叱られなければ何をしてもいいと思ってしまう。しかし、その叱るべき大人だって変になっているし、叱られたところで、ハイそうですか。って子供でも無くなっている。

 何かがおかしい。法律に反していないからいい、とか、いけないとわかっていてもやる。自分さえよければいい。モラルとか常識とかはどこかへ行ってしまったのだ。スピード違反はいけないと思いながらスピードを出してしまうのと、根底は同じなのだろうか。許容範囲がない極端な世界になっている。
 
 高度成長期に垂れ流しの煙や油。工場の煙突も車のマフラーも排ガス規制。見た目には綺麗になった。それでも空気中に出されているのであり、本当に見えないことは安全で綺麗なのだろうか。ダイオキシンも目には見えない。

 食べる物も豊富になり日本中、世界中の物が食べられるようになった。でも自分の食べているものを考えたことがあるのだろうか。ただ、お腹を満たすだけが食事ではない。子供に食べ物の大切さを教えているのだろうか。
 食べるものを探して、満腹になることを夢見ていた時代は、もっとお互いに助け合っていたのではないだろうか。

 毎日食べているご飯や何も考えずに吸っている空気。ご飯を食べることで身体が出来る。筋肉になるとか、骨になるとか。当然、脳にも栄養が行くわけで、食べることが日々の行動にも影響をする。
 食べて下痢をしたり、アトピーがひどくなったり、目に見える物はすぐに対処出来るが、ジワジワ脳に影響が出たり、ジワジワ内臓を壊されるのはわからない。

 空気は吸わないと生きていけない。その空気を吸うことで何かの影響が有るとしたら、それはどうなるのか。食中毒になったらその店や会社の責任。しかし、空気が原因の場合は…。空気は汚いから吸わない。と言うわけにはいかない。防毒マスクで外を歩く日が来てしまうのだろうか。そうなる前に何とかしなければ。

 水を買うとか、浄水器を付けるとか。10年前まではこんなに普及するとは思わなかった。日本の水は世界一美味しくて安全だったのに。10年間で水を買うのが当たり前になった。そう考えると、空気だって10年後にはどうなるか。水と空気はただだったはずなのに。

 20世紀末から考えられない事件がどんどんと多くなってきた。何か蓄積された物が爆発してきたような気がする。喉元過ぎればでショッキングな事件も重なれば、またか。になってしまう。

 見える物で何とかしよう。と言うのではなく、見えない物で何とかしないと。大人が子供を叱る世界を戻さないと。それは法律で規制できるものでもないし、強制される物でもない。今まで歩んできた道をさかのぼるしか無いのだろうか。

 このまま行けば、安心して過ごせる日々は失われる。泥縄的に改正をするのではなく、もっと将来を考えて対策をしていかなければ。

 でも、私に何が出来るのだろうか。

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